2013/12/16

  2013年12月16日(月)
  天童よしみ。
  ファミリーヒストリーと私の思い出。

天童よしみ
 12月13日放送のNHK「ファミリーヒストリー」は天童よしみであった。
 NHKの番組にゲストとして招かれた天童よしみは、天童家のドラマチックな「ファミリーヒストリー」を涙ぐんで見つめていた。
 天童よしみは今や歌謡曲界の大御所であるが、もちろん一夜にしてその地位を手に入れたわけではない。
 天童よしみは歌好きの父親の影響を受けて早くから天才的な歌唱力を発揮し、7才になると全国各地ののど自慢で片端から優勝をさらった。1972年にはよみうりテレビの「全日本歌謡選手権」で10週連覇し、グランドチャンピオンにも輝いた。
 歌が好きな父親は娘の才能を信じて東京へ送り出し、自分は大阪でタクシー運転手を続けながら娘が世に出る日を待っていた。
 そんな青春時代の天童よしみについては、私にも忘れられない思い出がある。1991年に、私のアートスタジオ・KYASがデビュー当時の天童よしみの「ポートレート」を制作していたからである。
 天童よしみのマネージャーが写真を持って来社し、できるだけ美人に仕上げたポートレートを作ってほしいと依頼された。そのときの作品を本日のクラブ9に掲載したのでご覧頂きたい。売り出されたばかりのCG(コンピューターグラフィックス)を駆使して、当時としては好感度の高い肖像画を制作することができたと思う。
 機会があれば天童よしみのこれまでの人生経験を折り込んだ肖像画を、改めて制作してみたい。
 当時、私は島精機の島社長から世界初のCG(コンピューターグラフィックス)を開発したから「KYAS」で斬新な映像ソフトを開発してほしいと頼まれた。世界初のCGは1台が5千万円と高価であったが、私は2台を1億円で購入した。
 高価なCGを償却するために、私は先ず建築会社に売り込んだ。当時の建築業界では受注に際してプロの画家が絵の具で描いた完成予想図を顧客に提示していたが、私はCGを用いて制作し、壁面の色彩を変化させたり、植樹を用いたりすることによって、建築と街並みをどのように調和させるかを提案した。
 1997年に完成した大阪ドーム球場の内装は、竹中工務店の下請けとしてKYASが完成予想図を制作した。当時としてはその画期的なデザインが専門誌にも掲載された。
 KYASが創始したニュービジネスの中でも、「誰でも美男・美女になれます」とPRした肖像画が評判を呼んで、500人以上の肖像画を受注した。制作したキタ新地のママたちの肖像画を集めて展覧会を開いたこともある。その後もノウハウを蓄積しているから、昔も今も出来映えには必ず満足してもらっている。
 現在もKYASは油絵よりも油絵らしい油彩タッチの肖像画を受注している。毛髪を増やし、しわを修正して、現在より20才、30才、若かりし日を復元することもお好みのままである。担当者は京都芸大や多摩美を卒業したアーチストである。作品の数やサイズ(号数)はお好みのままで、4号を50号に拡大しても作品の精度は落ちない。
 掲載した天童よしみの若き日のポートレートは私にとって思い出深い作品である。