2013/2/12

  2013年2月12日(火)
  追悼。
  不世出の創造的経営者・江副浩正氏の逝去を惜しむ。

(一)江副浩正氏とリクルート事件。

(1)1988年に江副浩正氏が傘下の不動産会社リクルートコスモスを東京市場に上場したところ、人気が沸騰し、初値に大幅なプレミアムがついた。
(2)江副浩正氏は不世出の経営者である。江副氏が創造したリクルートビジネスはすべてが斬新で、革命的で、創造的であったから、リクルートコスモス株の上場が空前の人気を集めたのは当然である。その上場プレミアムこそ江副氏が心血を注いで育成したリクルートビジネスに対する投資家の評価と信頼の証明であった。
(3)ところが朝日新聞が上場プレミアムにワイロの可能性があると報道し、大手各紙が追随してワイロ性を主張する大キャンペーンを張ったために、リクルート事件は戦後最大の贈収賄事件に発展した。
(4)生涯をかけて努力した結果、晴れて株式上場にこぎ着けた社長がこれまでお世話になった関係者や取引先に挨拶を兼ねて公募売り出し株を配るのは、昔も今も変わらない証券界の習慣である。
(5)事件発生当時、私は和光証券常務として引き受け業務を担当し、大阪市場で森精機や島精機を上場して、リクルートコスモスを大幅に上回る初値プレミアムを実現していた。そして私もまた慣例に従って森精機や島精機から取引先や支援者の名簿を預かり、公募株式を配布したが、いかなる問題も起こらなかった。
(6)当時も今も上場日初値のプレミアムを決めるのは企業でも幹事証券でもなく、投資家の人気である。人気が沸騰して、初日も、二日目も、ストップ高買い気配のまま初値がつかないケースもある。
(7)しかるに大新聞は結束してリクルートコスモスの初値プレミアムがワイロであると断定し、政界、財界、官界で公募株を取得した著名人の名前を探り出して、彼らはみな江副氏からワイロをもらったと断罪した。
(8)もとより全く無縁の人に公募株を配布するわけがない。探れば公私を含めたつきあいがあるのは当然である。株式市場でありふれた商習慣をワイロと論証するために、裁判は数年の長期にわたった。
(9)私は義憤に駆られて「リクルートファイル・『白い眼』」を出版し、すべての新規公開株が初値で例外なく大幅なプレミアムを記録しているにもかかわらず、リクルートコスモスだけにワイロの疑いをかけた点には何者かが策謀を仕掛けた疑いがある、と主張した。
(10)長期裁判のあげくに江副氏は有罪判決を受けたが、大疑獄事件であったにもかかわらず執行猶予がついていた。
(11)さもありなん。ありふれた株式上場を大新聞が結束して史上最大の疑獄事件に仕立て上げたのである。その動機は、江副氏に対する陰湿きわまりない私的な報復であった。

(二)就職情報を無料で配布した江副氏。

(1)江副氏は東大に入学すると「新聞部」に入部した。
(2)当時は左翼思想の全盛期で、日本の大学生の多くが共産主義のシンパであった。中でも東大新聞は日本共産党幹部への登竜門と見られていた。
(3)しかし東大新聞に入部した江副氏は左翼思想には見向きもせず、アルバイトの広告取りに専念した。当時は日本の一流企業が東大生の採用に意欲を燃やしていたから、広告を出す企業は順調に増加した。
(4)この時早くも江副氏は異才を発揮した。東大新聞で集めた就職情報を「データベース化」し、そのコピーを他の学生新聞に売り込んだのである。全国の学生新聞は労せずして広告料を得ることができたから、喜んで江副氏に手数料を払い、江副氏は二重三重に手数料を取得した。「データベース」はその後江副ビジネスの主要なノウハウとなった。
(5)しかし江副氏は広告料を企業から取得する一方、就職情報をパンフレットにまとめて学生の自宅に「無料で」送付した。これが求人広告を収益源としていた大新聞に打撃を与える結果となった。
(6)ドル箱である求人広告を江副氏に侵食された大新聞は報復の機会を狙っていたから、リクルートコスモスが株式上場によって取得したプレミアムをワイロと断定し、大疑獄事件に仕立て上げたのである。
(7)当時も今も上場ルールは全く変わらないが、リクルートコスモス以外に上場プレミアムをワイロと認定された企業は皆無である。贈収賄事件は大新聞が江副氏を狙い撃ちしたでっち上げであった。
(8)私は上場や増資を担当する引き受け業務のプロを自認していたから、プロフェッショナルの誇りを賭けて江副氏の無実を証明し、マスコミの誤りを正すために「リクルートファイル・『白い眼』」を出版した。

(三)江副ビジネスは創造性のかたまり。

(1)当時、自衛隊では隊員募集を「リクルートする」と言っていたから、江副氏は就職情報誌を「リクルート」と命名した。「リクルート」は江副ビジネスの発展につれて、明るく、さわやかな日本語となった。
(2)江副氏は東大卒業後も「リクルート」をベースに不動産、チンタイ、旅行等の情報誌を次々に発刊した。
(3)江副氏の経営手法は斬新であった。社員の採用に際しては学歴の提出を求めず、自ら時間をかけて面接し、自らの目で決定した。それから二十数年を経て、日本の学歴社会はようやく崩壊し始めた。
(4)江副氏は給料を歩合制にし、社員が資金を蓄えて1日も早く独立することを薦めたから、猛烈社員が続出した。社長は「30を過ぎてもまだ会社に残っている社員にはろくな社員がいない」と公言し、早期自立を促した。それから二十数年を経て、日本のサラリーマンは続々と自立し始めた。

(四)リクルートと決別した江副氏。

(1)リクルート裁判が長期化したために、江副氏は保有する自社株50%すべてをダイエーの中内会長に550億円で売却し、リクルートの経営を中内氏に託した。
(2)この時、マスコミによる江副叩きが再燃し、「江副氏は550億円の大金を握って社員を見捨て、敵前逃亡した」と報道した。
(3)私は即座に江副氏を弁護した。1. リクルートが不動産取得のために調達した銀行借入金は1兆7千億円に達しており、裁判が長期化すれば刑事被告人である江副氏の存在自体が融資継続の妨げになる、2. 自分が創始し、育成した企業を創業者が手放すについてはよくよくの事情がある、3. 江副氏が中内氏に売却した「550億円」は割安で、金儲けを目標に売却したという噂には根拠がない、というコメントをいくつかの新聞に寄稿した。
(4)この時、私は始めて江副氏から直接電話をもらい、指定された本町のビル吉兆に赴いた。
(5)江副氏はマスコミを避けるために着用していた変装用のカツラを取ると、「ビル吉兆の女将は吉兆の柚木氏の三女で、私とは甲南高校の同級生です。いま心置きなくくつろげる場所はここしかありません」と切り出した。
(6)「弁護団からはこれまでに何度も山本さんに証人として出廷してもらおう」と提案されましたが、自分を本気で弁護してくれる人がこの世の中にいるはずがないと思い、断ってきました。
(7)しかし今回、大勢の知人が山本さんの新聞記事をFAXで送ってくれたのを見て、始めてあなたの著書「リクルートファイル・『白い眼』」を読みました。今日までの失礼と無沙汰をお詫びします、と述べられた。
(8)昨年は野村證券で増資や増資新株の売買をめぐる不祥事が相次いで表面化した。もし野村證券の経営者が拙著「リクルートファイル・『白い眼』」を読んでいれば、不祥事を未然に防ぐことができただろう。
(9)「リクルートファイル・『白い眼』」は出版後二十数年を経過したが、証券界で引き受け業務、法人業務を目指す証券マンに一読を勧めたい。
(10)江副さん。あなたが創業されたリクルートは今年、株式市場への上場が決まりました。そのご報告を以て私の哀悼の言葉に代えたいと思います。