2012/6/4

  2012年6月4日(月)
  I。クラブ9。
    上放れ鮮明のオリンパス。

  II。続・橋下維新への支持と提言。
    大阪を日本の首都とせよ。

  III。今週のKYO-ONNA。

  I。クラブ9。
    上放れ鮮明のオリンパス。
オリンパス週足

(1)久々に強気の指標銘柄が出現した。
(2)チャートで過去1年の推移を見れば、昨年10月に大底を脱出した後、1,200円前後で永い保ち合いを形成したが、先週上放れが鮮明となった。
(3)チャート上の次の目標は2,000円の窓埋めとなる。2,000円大台を回復するためには、ピーク時に迫る収益力の回復と自己資本の修復が条件となるが、可能性は十二分にあると私は思う。
(4)第1に、自己資本は10%程度の第3者割り当て増資によって修復できる。富士フイルム、テルモ、パナソニック、ソニーなど、オリンパス株を取得したい有力企業にはこと欠かない。株価が上がれば発行株式数は少なくて済む。
(5)第2に、世界シェア70%を占める内視鏡の販売力は全く衰えていない。計画中の不採算部門の整理と人員整理を含む合理化を実行すればピーク時の利益を抜くことも可能である。新製品を開発したという噂もある。
(6)第3に、5%を保有していたサウスイースタンが全株式を売却した。信用取引の残高も大幅に縮小した。需給関係が悪化する懸念は乏しい。
(7)マスコミはウッドフォード元社長が12億円の慰謝料で和解したと報じている。元社長の目標が金銭であったと知って、私は解任してよかったと感じた。

  II。続・橋下維新への支持と提言。
     大阪を日本の首都とせよ。
(一)橋下維新に追い風が吹くか。

(1)前回に私は伊丹空港を廃港にすれば、自動的に大阪市と空港周辺地域のビルに課せられた200メートルの高さ制限がなくなり、不動産相場が急騰する可能性があると述べた。
(2)大阪クラスの巨大都市で不動産相場が急騰すれば必ず不動産バブルが発生し、不動産バブルがインフレを誘発し、インフレが好景気をもたらすことが十二分に期待できる。
(3)現に大阪(江戸時代は上方と呼んだ)では、元禄時代に巨大バブルが発生して商人が大金持ちになり、景気が爆発的に好転して文学、芸能、芸術が広範囲にわたって一斉に開花した歴史がある。
(4)そこで元禄時代に空前の繁栄をもたらしたバブル景気の背景と世相を探り、ご参考に供したいと思った。

(二)なぜ大阪が日本経済の中心となったか。

(1)江戸時代には京都、大阪を上方と呼んだ。京都には天皇の御所があり、大阪は天下の台所であった。大阪は現在の東京都以上に、政治的にも経済的にも圧倒的な日本の中核を占める大都会であった。
(2)豊臣秀吉は天下を統一すると大阪に大阪城を築き、政治経済の拠点とした。
(3)徳川家康が天下を統一すると江戸城を政治の拠点としたが、大阪城を建て替えて引き続き天下の台所とした。
(4)大阪が天下の台所となった理由はいくつかある。
(5)第1に、江戸時代に米が取れなかった北海道、東北を除くと、大阪が中部以西の日本の中心に位置した。
(6)第2に、太平洋側は海が荒れて当時の船舶では航行困難であった。北海道の昆布は北前船が日本海経由で敦賀に陸揚げし、琵琶湖を経由して陸路を大阪に運んだ。西日本の物産は瀬戸内海経由で直接大阪に運んだ。
(7)第3に、織田信長は天下を取ると真っ先に堺を抑えた。堺は海外貿易の拠点として急速に発展し、世界1の鉄砲生産地となった。堺の商人は巨額の財産を築き、茶の湯を広めた千利休も堺の豪商であった。
(8)第4に、江戸時代は銀本位性で大阪に銀貨を鋳造する銀座があった。江戸の小判は江戸前期にはまだ流通せず、すべてのモノの相場は大阪で決まった。
(9)第5に、日本中の産物は一旦大阪に集まり、陸路で江戸に運ばれた。司馬遼太郎氏は、現在でも手土産を届けるときに「下らないものですが」と申し添えるのは、江戸時代に上方の商品は一流、江戸の商品は二流と見なされていた名残だと述べておられる。

(三)町人文化の華、井原西鶴。

(1)五代将軍徳川綱吉の元禄時代(1688〜1704年)に、大阪で巨大なバブルが発生し、町人文化が花盛りとなった。大阪では年間300万ドルの資産が蓄積された。当時の大阪の人口は40万人で、1人当たりの財産は現在価値に換算して年間140〜150万円も増加した。
(2)中でも井原西鶴は好色一代男を出版するや、8巻8冊のシリーズが空前の大ベストセラーとなり、好色五人女、好色一代女、日本永代蔵等の浮世草子がことごとく大ヒットした。
(3)幕府の禄を受けた武士と違って、商人は自力で大金持ちになったから「悪所」通いで財産を蕩尽した。元禄時代には遊郭や芝居小屋など、悪所の建築ブームもまたバブルを増幅した。
(4)同じ時代に近松門左衛門は人形浄瑠璃や歌舞伎でヒット作を連発し、曽根崎で心中事件が起こると2週間後には竹本座で「曽根崎心中」の人形浄瑠璃を上演し、大入りの観客を集めた。名優坂田藤十郎とコンビを組んだ歌舞伎も人気を集めた。
(5)江戸では当時はまだ江戸弁ができあがっていなかったから、江戸固有の文学や芸能は乏しかった。

(四)大阪の堂島に世界初の先物取引所が誕生した。

(1)江戸時代には米相場が豊作、凶作によって激しく変動ししたから、禄高制度の下で大名、旗本が財政を安定して維持することが困難となった。
(2)享保15年(1730年)に八代将軍徳川吉宗は大岡越前守に命じて堂島に帳合い米相場(先物取引)を開設させた。堂島の先物取引は世界初であったが、現在の先物取引の骨格をすべて網羅していた。吉宗は米将軍と賞賛された。
(3)米国のシカゴ商品取引所は1848年に堂島をモデルとして先物取引を開始した。現在大阪とシカゴは姉妹都市の協定を結んでいる。
(4)堂島は全国の年貢米を集めて100万石単位の取引をこなした。堂島川沿いには米倉がひさしを連ね、仲買人は金融業を兼ねて大名旗本の資金繰りを一手に賄っていた。
(5)江戸時代には江戸の住民のうち10人に1人は武士であったが、大阪では200人に1人が武士であったから、大阪は名実共に商人の町であった。
(6)江戸の武士は論語を学んだが、大阪の勘定方の武士は商人と共に読み書きそろばんを学んだ。そろばんの普及が世界初の先物取引を可能にした。
(7)淀屋は堂島の豪商、金貸しで、現在の堂島川の北側、淀屋橋一帯に広壮な屋敷を構えていた。淀屋は大名を凌ぐ財産を築き、五代目淀屋辰五郎はガラス張りの天井に金魚を泳がせるなど、贅沢と豪遊の限りを尽くした。幕府はあまりの権勢を恐れて淀屋を取りつぶした。現在御堂筋の堂島川に架けられている淀屋橋は淀屋繁栄の名残である。

(五)東京が日本経済の主役となったのは昭和30年代。

(1)明治維新の廃藩置県で大名がなくなると、来年、再来年の産米を担保に資金を貸し付けていた仲買は巨額の債権が回収できなくなって、連鎖倒産した。
(2)しかし大阪の産業界は明治以後も健在で、日本経済の圧倒的な中枢を占めていた。
(3)東京が日本経済の主役となったのは第二次世界大戦の敗戦(昭和20年、1945年)後で、戦後も10年以上を経過した昭和30年代になってからである。
(4)その間の経過を補足しておきたい。
(5)第一次世界大戦(1914〜1918年)で日本経済は大いに潤い、軽工業から重工業へ、経済構造が大転換した。
(6)しかし第一次世界大戦が終結すると、外需依存の日本経済は恐慌に陥った。さらに1923年には関東大震災を受けて金融好況が発生した。
(7)日本は自由主義経済から国家統制経済に移行し、官僚と軍部が結託して日中戦争を勃発させた。第二次世界大戦が始まると、軍部が物資を支配する国家統制経済に移行した。
(8)第二次世界大戦の敗戦によって日本の産業は壊滅的な打撃を受けた。しかし戦後も戦時中の官僚機構が温存されて、すべての許認可権が東京に集中した。
(9)製造業はもちろん、流通、金融に至るまで大阪の主要企業は許認可を得るために続々と本社機能を東京に移した。
(10)最後に野村徳七商店(野村證券)、藤本ビルブローカー(大和証券)が東京に本社を移し、戦後10年を過ぎて、証券取引の中枢が北浜から兜町に移転した。
(11)その後も東京一極集中は加速し、首都圏は神奈川県、千葉県、埼玉県へと大膨張した。
(12)首都圏があまりの広域に拡散し、非効率が目立ち始めたところで、地震学者が東京直下型地震の可能性を論証するレポートを相次いで発表した。
(13)今や石原都知事自身が首都機能の一部を大阪に移転せよと主張している。

(六)橋下維新は進んで首都機能の受け入れを図れ。

(1)今や首都機能の一部大阪移転は日本の緊急課題となった。
(2)私は前回に橋下維新が伊丹空港を廃止すれば、200メートルの高さ制限が消滅して大阪周辺の不動産価格が急上昇し、不動産バブルが関西経済を活性化し、不況脱出の突破口を開くだろうと述べた。
(3)私の着想はきわめて個人的な思いつきで間違いや思い違いがあるかも知れない。皆様のご批判、ご意見を承りたいと思う。

  III。今週のKYO-ONNA。
 『わが回想の京女』(英語版)ミュージックダウンロード販売開始
 『わが回想の京女』の英語版『KYO-ONNA IN MY HEART(English Version)』の音楽ダウンロード販売開始しました。
日本語版とはまた違う新しい京都を感じられる作品になっています。
よろしくお願いします。  ↓↓ こちらをクリック ↓↓