2012/5/14

  2012年5月14日(月)
  株式市場の低迷と政治の低迷。

(一)加藤銘柄の挫折。

(1)一度破たんした相場を立て直すのは容易ではない。
(2)新日本理化を仕手戦の指標銘柄に掲げて華々しく登場した加藤氏は、東証の相次ぐ増し担保と新規売りの停止を受けて騰勢を封じられた。自らの空売りで取り組みを厚くし、逆日歩攻勢をかける。買いあおる一方でさらに売りヘッジを積み上げる。大取り組みに仕立てて大相場を演出し、最後に空売り株を現渡しして利益を鍋に入れる。という仕手相場の常套手段が使えなくなって利食いができないまま、新日本理化が反落し、先週はさらに急落した。
(3)4月に、加藤氏は目先を変えて三菱グループの優良企業である明和産業を押し立てて第二ラウンドを仕掛けたが、加藤氏の手の内を知り尽くした東証が先手を打って即座に新規売りを停止した。
(4)明和産業は安定株主が多いから、加藤グループの資金力を動員すれば急騰させることは簡単であるが、空売りを禁止されたために売りヘッジをかけながら買い上がるという奥の手が使えない。
(5)明和産業を急騰させて、その余勢を駆って新日本理化を高値整理に持ち込むという加藤氏の戦略は挫折したばかりか、明和産業も立ち往生してしまった。新日本理化の暴落による後遺症は大きく、当面加藤氏が次の一手を打ち出すのは困難と見える。
(6)仕手株の不振もまた株式市場の活力を阻害する要因となっている。

(二)混迷する東京市場。

(1)仕手人気を封じられた株式市場では、硬直した相場の突破口を求めて日経平均と連動しない小型株、新興市場株や、フェイスブック上場人気との連動を狙って情報関連銘柄を持ち上げたが、これらの銘柄もまた先週末に急落した。しかしこちらは初押しで相場が若く、整理一巡後は再起する可能性が高い。今週のフェイスブックの上場も人気を後押しするだろう。
(2)先週末は、株式市場に八方ふさがりの無力感が漂っていたが、相場の環境は悪くない。直近の決算集計で今期の経常利益は24%の大幅増益見込みとなった。ヨーロッパ株はギリシャ問題のリスクをほぼ折り込んだのではないか。米FRBのQE3や日銀の新たな資金供給も予想される。東京市場の相対的な割安修正は十分期待できる。
(3)私には、現在の日本の株式市場の混迷が日本の政治的混迷を反映しているように思えてならない。例えば原発再開の停止が産業界を不安に陥れているが、それらは政治が解決するべき問題であって電力会社にはどうにもならない。よって次項に日本の政局に関する私見を述べておきたい。

(三)小沢一郎を待望する。

(1)私は小沢一郎の政治的実力とぶれない政治的信念を高く評価してきた。現在の混迷した政治に活路を開く人材は小沢一郎をおいて考えられない。
(2)もし昨年の東北大震災時に小沢一郎が首相であったとすれば、菅元首相のように冷静さを欠いて原発処理を誤り、破たんの連鎖を引き起こすことはなかっただろう。
(3)小沢一郎が首相であれば、その後の災害復興でも即座に日本全国の土木業者を糾合して復旧工事に奔走し、東北三県に積み残されたがれき処理はとっくに片付いていただろう。
(4)政治家に求められる資質はクリーンさではなく、政治的実力である。国政が生み出す富は兆円単位であって、億円単位の賄賂なんて枝葉末節に過ぎない。
(5)田中角栄は目黒に大豪邸を築き、陣笠や官僚に金品をばらまいたが、日本列島に新幹線と高速道路を張り巡らせて日本全国を大改造し、高度経済成長の奇跡をもたらした。国民とマスコミは田中角栄の蓄財を批判するよりも、貧村で育った百姓の立身出世に拍手を送り、今太閤と賞賛した。
(6)人気先行の橋下維新と違って、小沢一郎は人気と実力と実績が表裏一体をなしており、国政と民心を一変させるパワーが期待できる。
(7)政治家といえども蓄財を図るのは当然で、政治家のみに清貧を求めるのは筋違いである。クリーンさを標榜するばかりで何もしない、何もできない政治家が徒党を組んで小沢一郎を排斥し、日本の経済、財政、株式を低迷させたばかりか、国家と国民の富を浸食している。
(8)沖縄問題で日米外交を誤った鳩山前首相や、大震災にうろたえて原発処理を誤った菅前首相や、官僚の言いなりとなって増税に政治生命をかける野田首相を見るにつけて、私は今こそ小沢一郎の政治力と判断力と行動力に期待したい。
(9)取るに足らない微罪によって小沢一郎を拘束し続ける小沢裁判の裏には政治的陰謀が渦巻いているという意見が多い。まして度重なる無罪判決にもかかわらず小沢一郎を執拗に告発する検察の暴力がなぜ法治国家でまかり通っているのかは不可解というほかない。
(10)小沢一郎の政治的実力を恐れる反小沢勢力こそ日本経済を低迷させている獅子身中の虫だと私は思う。昨今の政治的混迷に対する失望落胆が株式市場の活力を阻害していると感じるのは私だけの思い過ごしだろうか。