(1)私は1981年から88年まで和光証券(現みずほ証券)常務として大阪支店で法人、引受部門を担当していた。当時はバブルの最盛期で、企業は増資によって欲しいままに自己資本を調達し、余剰資金を持ち合いや資金運用に投入していた。
(2)資金運用の破たんを警戒していた私は、退任を決意したとき、担当者を連れずに1人で取引先を回り、トラブルがないことを自分の目で確認した。
(3)私は1990年に評論家に転身し、「『円』世界制覇の秘密(講談社)」を出版した。
(4)同書で私は「日本証券業協会会長、野村證券会長、田淵節也氏への期待」という見出しで、田淵会長は史上最大の利益3,000億円を計上した今こそ、残業を全廃するべきだと訴えた。
(5)証券界は繁栄を謳歌していたが、中でも頂点を極めた野村證券の経営者は「セブンイレブン(午前7時から午後11時まで)」と呼ばれる連日の過酷な肉体労働を自慢したばかりか、「考える役割は野村総研が果たす。営業社員は手数料収入のみを競え」と叱咤激励していた。
(6)それゆえ私は「世界中で最も知的な仕事である証券業務を野村證券は肉体労働に変えてしまった」と批判し、「野村證券が今にして投資家不在の利益至上主義を改めなければ、日本の証券市場に禍根を残す」と訴えたのである。
(7)果たして株価の暴落が始まり、時価会計が導入されるに及んで多数の上場企業で赤字が表面化した。証券界では山一証券が破たんし、その他の大手証券でも多数の法人担当役員や法人部長が引責辞任した。
(8)バブル時代の狂気のような資金運用競争を渦中で体験した私の目から見れば、オリンパス問題は氷山の一角に過ぎない。
(9)そもそも資金運用で発生した赤字をタックスヘイブンに隠し、隠した赤字を企業買収を装って償却するなどという発想はオリンパスにあるはずがない。野村證券と野村證券の元担当者の指南に従ったに過ぎないだろう。
(10)金融庁と東証と第三者委員会は、主役を演じた野村證券の責任を裁かなければ片手落ちとなるばかりか、事件の真相が解明できないだろう。