2008/7/7

  2008年7月7日(月)
 【 I 】石油相場よ、おごるなかれ。
 【 II 】日経平均12連敗異聞。

【 I 】石油相場よ、おごるなかれ。
(一)石油暴騰は最終局面。

(1)6月に入って、石油相場が暴騰し、株価の第2次暴落が始まった。
(2)私はサブプライム破綻に伴う金融危機は3月で終わったと思う。現在の株価急落は石油の暴騰が原因である。
(3)石油の暴騰は投機資金の流入が原因である。主たる投機資金は年金とヘッジファンドである。
(4)5日付日経は1面トップで「投機資金監視で結束」「G8、報開示強化」と報じた。投機資金抑止論はG8の主要テーマに急浮上した。
(5)私は、石油の投機相場は最終局面に近づいたと思う。

(二)急浮上した投機資金規制論。

(1)石油相場を抑止するウルトラCはすでに準備されている。
(2)アメリカの議会には投機資金を規制する複数の法案が提出されている。
 第1に、年金資金による石油投機を規制する法案。
 第2に、ヘッジファンドによる石油投機を規制する法案。
(3)年金とヘッジファンドは株式の値下がり損を石油投機でヘッジしようとしたが、現実には株価の暴落を誘発して元も子も失いつつある。ヘッジファンドを創始したジョージ・ソロスでさえ規制論を主張している。
(4)テキサスの石油資本をバックとするブッシュ大統領が議会の規制案に拒否権を発動する可能性はある。しかし拒否権を発動させない状況が噴出している。
 第1に、財務省とFRBには石油暴騰を抑止する手段がない。
 第2に、ガソリンの高騰は市民生活を破壊し、米国の基幹産業である自動車のビッグ3を倒産に追い込む。
 第3に、世界各地で暴動が発生している。
 第4に、次期大統領選で、民主党のオバマ候補は規制論に傾いている。共和党のマケイン候補も支持せざるを得ないだろう。
 第5に、石油の暴騰で利益を受ける国家と国民は、産油国だけである。
(5)アメリカは自由主義、資本主義の牙城である。しかし穀物もさることながら、こと石油に関する限り、規制に反対する世論は起こらないだろう。石油投機は世界の国家と人類にとって百害あって一利もない。
(6)投機資金よ、おごるなかれ。

【 II 】日経平均12連敗異聞。
(一)10連敗の記憶。

(1)日経平均は12連敗を記録した。11連敗、12連敗の記憶は乏しいが、43年前の10連敗の記憶は鮮明である。
(2)昭和40年の証券不況で、山一証券が300億円、大井証券が53億円の日銀特融を受けた。私はその時、大井証券の大井治社長の秘書を務めていた。
(3)証券不況に先立つ昭和30年代後半は投資信託が大衆的人気を集め、株式市場に初めて普通の市民が参加した。マスコミは「証券よ、今日は。銀行よ、さようなら。」と持ち上げていた。
(4)投信が普及するまで、証券会社は株屋と呼ばれ、兜町や北浜の裏通りに集まっていた。投資家は株屋に出入りする姿を知人に見られるたくなかったからである。
(5)中でも大井証券は四大証券に伍して投資信託市場に参入し、大井社長自ら運用を指揮して急成長した。毎月設定の額面5,000円の投資信託は軒並み2万円台に急騰し、店頭には現金をバッグにつめた投資家があふれて売り切れとなり、翌月設定分を予約販売していた。
(6)しかし昭和40年に証券不況が深刻化し、日本共同証券と株式保有組合を設立して株価を買い支えたが、落勢を阻止できなかった。
(7)この時、野村証券は保有株式を買い上げ機関にぶつけて危機を凌いだが、名門山一証券はなすすべもなく、取り付け騒ぎに追いつめられた。
(8)時の大蔵大臣田中角栄は宇佐見日銀総裁を励まして山一証券と大井証券に日銀特融を発動し、モラトリアムを回避した。私は今日まで、田中角栄ほど決断力と実行力と責任感を備えた日本の政治家を見たことがない。日本共同証券と保有組合は数年後に巨額の利益を残して解散した。
(9)今年3月、米FRBはJPモルガン銀行経由でベアースターンズに無制限の特別融資を断行した。そこまでは山一救済と似ているが、バーナンキ議長はさらに踏み込んで30兆円の資金枠を設定し、傘下のニューヨーク連銀に投資銀行各社の取引口座を開設させて、信用の後ろ盾となった。30兆円という資金枠はサブプライムローン全額に相当する。私はバーナンキの不退転の決意を見て田中角栄を想起し、金融不安は終結すると主張した。

(二)大井社長と児玉社長の強気論。

(1)大井証券は日銀特融を受けた後、社名を和光証券に変更し、興銀出身の竹内社長を経て、児玉社長が誕生した。
(2)児玉社長は強気論で投資家の支持を集めたが、自己資金の運用でも驚異的な利益を上げた。日銀特融53億円の返済計画は13年であったが、3年で完済した。山一証券が日銀特融の後遺症を払拭できずに倒産したのと比べれば、天地の差がある。
(3)私は幸運にも二人の強気論者の薫陶を受けた。しかし強気一辺倒の大井社長に比べると、児玉社長の強気は繊細かつ慎重であった。
(4)児玉氏は社長就任後も株式部から常に「玉帳(自社保有株式の一覧表)」を取り寄せて、株式部長に赤線を入れた銘柄の売却を指示した。赤線はみな評価損を抱えた銘柄だから、株式部長が売却をためらうと、激怒した。その結果、投資有価証券勘定にはたちまち巨額の評価益が積み上がったが、それでも社長在任中は保有株式を利食いして決算を飾ることを許さなかった。日銀特融を反省し、証券危機の再来に備えたのである。
(5)児玉社長が株式部に顔を出すと必ず大勢の新聞記者が集まった。彼らが有望銘柄を耳打ちすると、児玉社長は即座に目の前で買った。ガセネタもあったが、やがて新聞記者から質の高い情報が児玉社長に集まるようになった。児玉社長は研究所の育成に力を入れたが、新聞記者の情報とPR効果も重視した。
(6)大井社長も児玉社長も講演会で全国を行脚した。講演会は常に満員で熱気に包まれていた。マスコミが主催する討論会では強気論者と弱気論者を対立させる必要がある。児玉社長はどんな弱気局面でも強気を主張したから、討論会で不可欠の強気代表となった。
(7)「急落局面であんなに強気を主張してもいいのですか」と私が尋ねた時、児玉社長は「俺も心配だよ」といった後、「強気の材料が何一つなくなった時に相場はしばしば底入れする。これは理屈ではなく経験だ」と語った。児玉社長は需給関係を重視し、「不景気でも金融を緩和すれば株価は上がる」と主張した。
(8)大井社長は、株式が趣味であり、人生そのもので、株式投信は企業や個人を豊にすると確信していた。大井社長は大会社を訪問する時でも社長にアポイントを取った。秘書の私はOKが出るまで何回でも何日でも電話を入れた。アポイントを取ると大井社長は必ず投資信託の注文をとった。社長には決定権があり、「上司に相談してから」という逃げ口上が使えなかったからである。
(9)大井社長は講演会の往復の車中で隣り合わせた人から投信の注文をとった。宴席では芸者から注文を集めた。私は毎月芸者の置屋へ積み立て投信の集金に通った。
(10)私は結婚式の仲人を大井社長に頼んだが、休暇は1日しかくれなかったから、土曜日の午後に挙式して夜行列車で信州へ行った。
(11)私はいつしか株式漬けの人生を楽しいと思うようになっていた。

(五)20世紀から21世紀へ。

(1)私は大井、児玉両社長から薫陶を受けたことを誇りとしている。それゆえ相場観の基本は強気である。
(2)現在はもはや高度成長時代ではないという意見もあるが、私はそうは思わない。21世紀は人口超大国の中国、インド、ブラジルを先頭に旧植民地が一斉蜂起し、世界経済は地球規模で拡大成長する時代を迎えた。
(3)急拡大の結果、大気汚染、食糧危機、石油危機に見舞われたが、人類は英知を結集して危機を克服するだろう。
(4)19世紀に、日本は世界で唯一欧米の植民地支配を免れた。
(5)20世紀に、日本は家電、エレクトロニクス、精密機械等で世界を制覇した。
(6)21世紀前半に、日本は自動車で世界を制覇するだろう。
(7)自動車と家電には広大な下請けの裾野が必要である。日本は下請けの質量が飛び抜けて充実している。中国や韓国が日本に追いつくのは至難だろう。
(8)19世紀に覇者となったイギリス、20世紀に覇者となったアメリカは、20世紀に製造業が衰退した。しかし金融や情報で産業構造を再構築し、市民は豊かな生活を謳歌している。
(9)日本は欧米の植民地支配を免れた唯一の国家で、20世紀に工業化社会の主役に躍り出た。私はこれを偶然の結果とは思わない。
(10)種子島に鉄砲が伝来したのは1575年で、1600年の関ヶ原の戦いで日本は世界最大の鉄砲保有国となっていた。その間わずか25年であった。
(11)江戸時代に大阪の堂島は世界最古の先物取引を創始して活況にわいていた。淀屋橋に広大な屋敷を構えた淀屋は来年、再来年の米を先物市場で換金し、全国の大名に融資していたが、町人による武家の支配を恐れた幕府に取りつぶされた。
(12)先物取引を可能にしたのはそろばんの普及である。今や日本の先物市場は数学を武器とした外国証券に占拠された。私が金融機関は数学を持てと力説するゆえんである。
(13)日本人が先人から受け継いだ知恵とDNAを失わない限り、21世紀にも日本の競争力は衰えないだろう。