2008/3/17

  2008年3月17日(月)
  富山化学続報。
  富士フイルム古森社長の見識を問う。
  石原都知事の蹉跌(さてつ)。
  木村剛と日本振興銀行の蹉跌。

(一)続々々々富山化学。

(1)14日の株価の下落を見る限り、TOBが成立する可能性が高くなった。
(2)野村證券に集まった応募株数が目標に達しそうだという情報が早耳筋に流れたのではないかと思われる。
(3)そうだとすれば、様子見していた株主が一斉に応募に傾くだろう。
(4)不明な点もある。TOB期間に入る前日の2月16日から3月14日までに12万株を1単位とする売買が百数十回に達しており、その大量売買が賛成派の用か、反対派の用かが不明である。
(5)しかし3月17日に880円を超えるか、或いは第3の投資家が名乗りを上げるか、の波乱が起こらなければ、個人株主は富士フイルムのTOBが成立すると考えて対処せざるを得ないだろう。
(6)先週、たまたま旧カネボウの株主訴訟で株主勝訴の判定が降りたので、次項で要旨を紹介した。ただし勝訴までには長い歳月が必要であった。富山化学の上場維持は現実には富士フイルム古森社長の見識にかかっている。

(二)富士フイルム古森社長の見識を問う。

(1)私は20年前に、当時はまれな企業買収を3件成立させて、いずれの場合も経営者と株主の双方から大いに歓迎された。
(2)証券会社を退任した後も投資家の目線でTOBの歴史を見つめてきたが、今回の富山化学のように少数株主の反感を集めたケースはめずらしい。株主の要望がTOBやその株価よりも上場の維持にあったからである。
(3)3月12日付日経(13面)は、東京地裁が旧カネボウの買い取り価格を「会社提示の2.2倍が妥当」と異例の判断を下した、と報じた。さらに「判決は少数株主への配慮を欠く企業再編に警鐘を鳴らす」、「株価算定の手法や少数株主の保護のあり方に影響を与える」と解説している。買収合併時代の到来に備えて、経営者、投資家・株主の一読をお勧めしたい。
(4)資本主義社会の資本市場で少数株主を軽視する企業が繁栄するはずがない。いま少数株主の権利を無視して富山化学を株式市場から抹殺すれば、カネボウと同様に将来に禍根を残すだろう。
(5)富山化学の株主は業績や配当ではなく将来の夢を買っていたから、本来ならば富士フイルム傘下入りで夢の実現が加速することを大歓迎した。株主は買収を歓迎して、上場廃止に反対したのである。
(6)それゆえ、TOBの成立後でも富士フイルムが上場維持を宣言すれば、富山化学の株価は即座に高騰し、富士フイルムの含み益を激増させるだろう。
(7)資本政策の観点から見ても、富士フイルムは将来の成長期待が富士フイルムよりも高い富山化学の上場を維持する方が得策だと私は思う。
(8)かりに富士フイルムが富山化学の上場廃止を強行しても、3分の1を保有する大正製薬の持ち株を肩代わりしない限り、合併は不可能である。それゆえ株主には富士フイルムが上場廃止を急ぐ理由がわからない。その結果、何らかのインサイダー情報が隠されているのではないかといった疑心暗鬼が生まれるのである。
(9)富士フイルムの古森社長は、少数株主の権利を守り、不必要な憶測を一掃するために、上場廃止を必要とする理由を明快にする責任がある。

(三)石原都知事の蹉跌(さてつ)。

(1)石原都知事が新銀行東京の設立構想をぶちあげた時、私は即座にクラブ9でその無謀を指摘し、破綻は必至だと述べた。
(2)そもそも新銀行東京設立の動機が不純であった。大手銀行に対して都知事が外形標準課税を課したところ、都銀が結束して裁判に訴えた結果、東京都が敗訴した。メンツ丸つぶれとなった都知事は「都銀は中小企業育成の責任を果たしていない」と筋違いの批判に転じ、「東京都が都銀に代わって中小企業を育成してみせる」と見栄を切った。その結果が新銀行東京の設立であった。
(3)石原都知事が個人的なメンツと意地で新銀行東京を設立したにもかかわらず、今になって創業当時の経営者に責任をなすりつけるのは卑怯と言わざるを得ない。
(4)私が新東京銀行は破綻すると断じた理由は明快であった。
 第1に、都知事はアメリカの銀行経営のノウハウを用いれば中小企業金融は可能だと胸を張ったが、アメリカの銀行は基本的に中小企業に融資しない。中小企業は技術力があっても財務や経営のリスクを客観的に把握できないからである。
 第2に、その代わりにアメリカではすでにナスダック市場が発展し、ベンチャー企業向けのベンチャー資本を供給していた。
 第3に、さらにナスダックの下には、6〜9万社に達する上場予備軍がエンジェル市場を形成し、リスクの高いエンジェル企業にはリスクに挑戦するエンジェル資本が出資していた。
(5)それゆえ私は、都知事は銀行ではなくベンチャー資本を創設するべきだ、と述べたのである。
(6)銀行は通常融資先企業から担保を取るが、新銀行東京は無謀にも無担保で融資し、不良債権の山を築いた。しかし融資ではなく出資であれば、100社のうち90社が倒産しても10社が上場すれば元が取れる。もし20社が上場すれば大もうけとなる。ベンチャー企業には融資よりも投資がふさわしいことは、アメリカの金融市場を見れば一目瞭然であった。
(7)その後、日本でもベンチャー企業のためのベンチャー資本市場が発達し、ジャスダックに続いてヘラクレス、マザーズが開設された。新興市場からソフトバンクやヤフーや楽天など、多数の新興企業が育って行った。今世界でIT市場を席巻しているグーグルも8年前には生まれたばかりのエンジェル企業であった。
(8)中小企業でも優良企業には必ずメーンバンクがついているから、初めから新銀行東京が割り込む余地はなかった。
(9)石原都知事はさらに400億円を追加投入すると言うが、狂気の沙汰である。責任を部下になすりつけて敵前逃亡する上司と心中する「人材」はいないだろう。

(四)木村剛と日本振興銀行の蹉跌。

(1)新銀行東京と前後して木村剛が設立した日本振興銀行についても、私は即座に倒産必至だと述べた。
(2)木村剛は金融庁顧問の職権を利用して親しいサラ金会社に銀行のライセンスを取得させた。しかしサラ金が銀行経営に成功するのは至難である。
 第1に、サラ金は通産省管轄であるが、銀行は金融庁管轄である。金融に無知な通産省に比べると、金融庁の検査は桁違いに厳格である。
 第2に、サラ金の上限金利が29%であるのに対して、銀行の上限金利は実質10%である。金融庁は年率10%を超える融資案件を片端から不良債権と見なし、貸倒準備金の積み立てを要求する。
(3)これだけのハンデがあれば、サラ金の経営者が銀行経営で成功するわけがない。サラ金で儲けたから銀行の看板を持てばもっと儲かると考えたところに、木村剛の浅薄さが露呈していた。
(4)この程度の才能が金融庁顧問として絶大な権力を振るい、日本の巨大企業30社を名指しで「つぶせ」と恫喝していたのである。
(5)企業の過剰債務は銀行の過剰融資である。竹中大臣は木村剛の強面(こわもて)を利用して銀行を威嚇し、過剰融資の責任を追及した。ダイエーや日商岩井やUFJ銀行が事実上の倒産に追い込まれた。
(6)つぶすと脅かされて、金融機関と企業は借金を返済するために株式と不動産をたたき売った。買い手不在の市場で大暴落した株式と不動産を、ユダヤ資本がダ同然で一手に買い占めた。
(7)竹中大臣はユダヤ資本に荷担して日本の国益を破壊していると、当時私は批判し続けた。事実、株主名簿の50%を占めていた金融機関と取引先企業が消えた。代わって外国人株主が30%を支配し、東京株式市場をユダヤ資本が占拠したのである。今上場企業は外国資本の買収におびえ、株式持ち合いを復活している。
(8)さて、日本振興銀行はたちまち大幅赤字に陥り、内紛に揺れた。その後の状況を私は知らない。知ろうとも思わない。
(9)当時、ケンカが強く、颯爽としていた石原慎太郎と竹中平蔵と木村剛は、権力におぼれて悔いを後世に残した、と私は思う。